2008年04月28日

正解

音楽の解釈において正解はない。
もちろん理に適わないと不正解かもしれないけど・・・・

ただしノイマンのドヴォルジャーク演奏を聞くたびに「正解」と言いたくなる。
この「正解」は1+1=2のような唯一絶対の正しさではない。
それでも正解という気になる。

それはノイマンの自信の表れだろうし、それを演奏するチェコフィルの自信でもあろう。
どこまでも美しく、楽譜に書いてあることが、かくあるべきとその正しい姿を再現しているかの如く思われてならない。

そして「そうそう」と膝を叩き、そのスタイルを取り入れたくなる。
スコアを見ながら聞くと、聞くたびに様々な情報が聞こえてきて、新たな発見につながる。
細部まで一切の妥協を許さず、意思を貫く音がある。
だから「正解」だと思わせてしまうのだろう。

こんな演奏をできる幸せは、何者にも変えがたい喜びなのだろうと思う。
ノイマンのともに時間を過ごした楽員には、まさに至福の時だったのだろう。
喜びに溢れた音は、聴衆にも至福の時をもたらしてくれた。

かつてアシュケナージがマーラー交響曲第9番(EXTONのCD。僕がライナーノートを書いています。)を録音したとき、僕はドヴォルジャークホールでリハーサルから聞いていた。
リハーサルが終わり、楽員達が続々と「ノイマンのときは・・・」と言い、ノイマン最後の録音を聞きながらソロ・ビオラのカレル・ジェハク氏が胸に手を当てて4楽章を聞き入っていた姿が忘れられない。
「このソロはティルシャルだ!!」などとつい昨日のことのように興奮した様子で語り合う。

それはそれでよいのだが、このオケを指揮することの恐ろしさもそこにはあるのだけど・・・・

それにしてもマーツァルがノイマンよりも雑誌等で評価されることはおかしい。
かつての音を蘇らせたとかなんとか言いますが、はっきり言ってアシュケナージのころの方が、古いチェコフィルの音だった。今のチェコフィルはやはりより今風の音だと思う。
どちらが良いとか悪いとかいう議論はないけどね・・・

「ターリヒ時代の音を目指す」なんて本人は言うけど、それも当てはまらないと思う。やはりマーツァルの音だし、マーツァルの音楽だ。
マーツァルが出す音は、あくまでもマーツァル自身が身に付けた音ではないのかと。それがチェコフィルと合致すると素晴らしいのは事実。
それが昔の音だと言われるとても違和感がある。
ノイマンが亡くなった直後に聞いたチェコフィルのほうが、今よりずっと古い音がしたし、コバケンが振ろうともノイマンの音がしていた。

こんなことを思うのも、ノイマンの音が好きだからに他ならない。
もちろんアンチェルもターリヒも好きだけどね。

だからノイマンさんが「正解です」なんて思うのだろうか・・・・

コゼルビール飲みたい。
↑ノイマンが別荘を構えたプラハ郊外のフェルケー・ポポヴィツェの地ビール。
今もポポヴィツェの共同墓地にマエストロは静かに眠っています。
posted by CZ-Pivo at 22:48| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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