2008年08月30日

愛すべき

チャイコフスキーの弦楽セレナーデ。

以外にもチェコの録音があまりないなぁ・・・・

と思ったら、プラハ放送響の録音がった。

予想とおり素晴らしかった。
小さい弦楽アンサンブルよりも、フル編成の方が良いに決まっている。

そんな欲望を満たしてくれる録音である。
即物的なヴァーレクの指揮以外はね。

ヴァーレクのことを知人が「チェコの秋山和慶さん」と称していた。
大編成やマニアックな曲を好み、スコアをガン見して振る。
必ず水準を維持する安全運転な指揮振り。

そんなことを言いつつも、ヴァーレクは嫌いでないよ。

さてさて約3ヶ月オーケストラ活動から遠ざかっていたが、明日から復帰する。
久しぶりにハイトーン吹きまくりのモーツァルト・バイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。
ああいう音は、緊張感があって楽しくて堪らない。

と思ったら、なぜかベト1の2番ホルンを吹かなきゃならん。
こちらの方が、嫌。
最近、あんな低い音は販売していないのに・・・・憂鬱。
posted by CZ-Pivo at 18:44| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月25日

楽譜

ウィキペディアの楽譜版。
http://imslp.org/wiki/Main_Page

みんながいろいろと持ち寄って集まるので、オケ曲のあるパートだけなんてどうにもならない曲もある。
しかしウェーバーのコンチェルティーノの自筆譜ファクシミリ、ドープラのアンサンブルやら、エチュードやら、てんこ盛り。

楽しすぎる。

またさらうものが増えてしまった=中途半端に吹けるレパートリーが無駄に増加するということである。

今まで全く吹いたこともない(あまり興味がなかったから)、シューマンの4本協奏曲もある。
この際、さらってみるか。

個人的には、ドープラのホルン6重奏が嬉しい。
ティルシャルさん以下チェコフィルのメンバーが3度も録音している。
ティルシャルさんの美しいハイトーンが堪能できるのだが、譜面があるってことは、俺にも吹けるってことである(当たり前)。
5線の上の方ばかりで、楽しい。乱発する上のGとか最高。
でもこんなん40分も吹けない。
ドープラ自身がホルンを吹いていただけあって、とてもよく出来ているのは言うまでもないけど、曲としての構成もしっかりしているので、単なるホルンの曲という枠を超えて、楽しめる。
まぁ素人で手を出してやれるような曲では無いけどね。

そしてチェコのホルンのサイト。
http://www.lesniroh.cz/

英語ページなんて無いから、ほぼ読めない。
でもティルシャルさんの先生でありブルノ音楽院教授を務めたフランティシェク・ショルツの記事もありとても貴重である。

こういうページは見ていて楽しい。
posted by CZ-Pivo at 22:02| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

父を想うマキシム

ショスタコーヴィチの息子:マキシムがプラハ交響楽団を指揮し11年掛けて制作した交響曲全集録音。

息子としては「お父さんの曲を演奏したら世界一」になりたかったのだろう。
父は、息子の才能をどこまで認めていたのか、疑問もある。

まぁそんなことはどうでも良い。

この全集の面白さは、プラハのオケが、憎き??ソ連の大作曲家の交響曲全集を作成したことにある。
でも彼らは、大人である。
政治と音楽は切り離している。

特に政治的な「バビ・ヤール」はプラハフィルハーモニー合唱団&キューン混声合唱団とペテル・ミクラーシュの最強タッグが、最上級の仕事をしているお陰で、この曲の録音としては3本指に入る演奏になっている。
また音圧の強い金管が、チェコフィルほどではないが、かなりの威力を発揮している。
これがショスタコ的であるなしは、この際議論の対象ではない。
ヴィブラートたっぷりのふくよかなサウンドが、良い味を出しているのである。
4番冒頭のファンファーレなんぞそんな良い例。

ただし8番〜3楽章のソロなんぞは、カフェルニコフとは勝負にならないし、弱い印象を受けざるを得ない。
ヤン・フィッシャーさんだと思うけど・・・・「我が祖国」吹かせたら凄いけどね。

それでもプラハ響の音色が、ショスタコの音楽に新たな光を与えたと思われる。

そんなこんなで、たまに聞きたくなるこの全集。

上手下手や、ソ連的サウンドを求める人には、よろしくないかもしれないが、とても興味深い演奏であることに間違いはない。
マキシム君は、プラハ国民劇場で「マクベス夫人」を新演出の指揮までしている。

ちなみに国民劇場は、2009年シーズンからトーマシ・ネトピルを常任指揮者とする発表があった。
ネトピルはチェコの若手では、ヤコブ・フルシャと並ぶ世界で活躍する指揮者で、昨年、マーツァルの代役でチェコフィル定期にも登場している。
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2008年08月18日

ヨゼフ・スーク

と言っても、たまには作曲家のこと。

ドヴォルジャークに学び、愛娘オルチカと結婚して、公私共にドヴォルジャークと深い結び付きがある。
そのまた孫が同名のヨゼフ・スーク。

弦楽セレナードくらいしか知られていないだろうね。

それでも最近、マーツァルが「おとぎ話」を録音して、多少知られるようになったのだろうか?

「アスラエル」交響曲
交響詩「人生の実り」
交響詩「エピローグ」
交響詩「プラハ」
幻想的スケルツォ
交響詩「夏の物語」
など大規模な管弦楽作品から室内楽まで多くの作品を残している。

「おとぎ話」をチェコフィルで聞いたのは、アシュケナージがマラ6をやった前半である。
ちょうど初演100周年を記念した演奏であった。
バイオリンの美しいソロ、ボヘミア風の旋律が気に入り、ホールでスメターチェクの録音を入手した。
その後、デ・ワールト指揮オランダ放送響の演奏会で「幻想的スケルツォ」を聞いた。
マッケラスの録音で知っていたが、実演で聞くと嬉しい。
この演奏会は、スーク、ドヴォルジャーク「テ・デウム」、グラゴルミサとチェコ物オンパレードであった。

スークは、フィビヒとはまた違うが、民族的な風合いよりも、より心象風景を音にしていると思う。もちろんボヘミア風なんだけど。

そんなことで、弦セレ以外はチェコ以外でほとんど演奏されないのだけど・・・・
後期ロマン派の影響も受けて、ドラマティックな作品を残している。

名前だけは知られている「アスラエル」交響曲なぞとても美しいと思うのだけどね。
「エピローグ」は金管のバンダ、女声コーラスを取り入れ、マーラーの影響さえ見えてくる。その使い方が限定的であることも。
そんなことも演奏されない理由なのかもしれない。

2009年は「夏の物語」が初演100年を向かえ、1月5日&6日にチェコフィルが記念に取り上げるのだが、5日の昼の飛行機に乗るため、残念だがら聞けない。
リハーサルにでももぐりこみたいところだが・・・・
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2008年08月17日

ズデニェク・フィビヒ

ドヴォルジャークとほぼ同時代のチェコの作曲家。

でもその作品は、ほとんど知られていない。
ヤン・クーベリックが「気分、印象と思い出」からのピアノ曲をバイオリン版に編曲した「詩曲」くらいが有名なのかな。

交響曲は3曲。室内楽、オペラまで書いている。
ピアノトリオにクラリネットとホルンが加わる5重奏は、とても美しい。ティルシャルさんが録音しているが、この曲の美しさを存分に見せ付けてくれる、
そのうちやりたいと本気に思っている。もちろん楽譜は、持っている(某外国の大学のHPからダウンロード)。

今日、そんなフィビヒのオケ曲のスコアを2曲見つけた。
知らない曲だけど、迷わず購入。
交響詩「ザボイ・スラボイ・ルジェク」
組曲「田舎の印象」
などという2曲。

我が家の棚にも録音が無い。
調べたら、本当に録音がない。これまた気合を入れて、探すしなないな。
スコアを眺めているだけで、美しさが見えてくる。是非とも音にしてみたいところだ。

フィビヒは、ドヴォルジャーク、スメタナらと比べると、民族的・民謡的な旋律というよりも、ボヘミアの空気を音楽にしていると感じる。
それがチェコ以外ではほとんど演奏されない理由なのだろうと思う。

でもそんな気分こそ、フィビヒの魅力なんだけどね。
シェイナの交響曲全集は、とても素晴らしく美しい。

さらに本日の収穫は、ヤナーチェク「利口な女狐」組曲のスコア。
ターリヒ版でなく、フランティシェク・イレーク版。
これが出版されていたとは知らなかった。全然違うので、とても貴重だ。イレーク版は、チェコフィルと録音しているので、眺めながら聞くとしよう。

おまけ。
スメタナ歌劇「キス」序曲。
持っていた。これで2冊目。あはは

このオペラは、初めてみたスメタナのオペラ。
2001年にプラハのオペラフェスティバルで、ピルゼン歌劇場がプラハ国民劇場で上演したのを見た。
コミカルな内容で「キス」のシーンは、近くにいた子供達が、とても楽しそうに拍手をしていたのが印象的だった。

序曲だけでも、いつかやりたいところである。
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2008年08月16日

マーラー10番

クック版とかバルシャイ版とかではなく、久しぶりにアダージョを聞いてみた。
もちろんノイマン・チェコフィル。

この録音自体、とても久しぶりに聞いたような。

この曲をやってもやはり素晴らしいのは言うに及ばず。
マーラーらしいボヘミア風の旋律は、やっぱり彼らのスタイルに合う。
でもこの曲ってマーラーが全部書いたら、それまでのマーラーとは全く違う雰囲気になっていたろうと思う。
クック版は普通過ぎるし、バルシャイはプロコフィエフ風ロシア音楽だし。

ほぼ自身の手で書いてある1楽章からして、和声の構成やらが、どうもそれまでと違うように思える。
中間部の金管のコラールなんぞは、これがマーラーなのかと思えてならない。いうなれば「いけない音」とでも言うのか。

1980年代前半のチェコフィルの金管そのものが、行き切った音だからそうなるってもんでもない。マーラーの書いた音そのものが、悲痛でありながらも、美しく鳴り響くのだろうと。

そんなことをノイマンの9番から続けて10番を聞いて思った次第。

そして改めて良い演奏だとね。
posted by CZ-Pivo at 16:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

シンフォニエッタ

ヤナーチェクで思い出した。
かなり前に、あるオケが「シンフォニエッタ」をやるからと曲目解説を書いたものの、下らん事情でボツになった原稿が出てきたから、この際ここに乗っけてみる。

以下、初公開の原稿。

「シンフォニエッタ」
レオシュ・ヤナーチェク(1854〜1928年)の作品を語る上で生まれ故郷であるモラビアと非常に大きく関係している。モラヴィアとはチェコの南で、ウィーンまで100キロ程の距離にあるブルノを中心とする地方である。レオシュ・ヤナーチェクは北モラヴィアに位置するフクヴァルディに1854年に生まれた。フクヴァルディはその中でもラシュコ地方に属するポーランドにも近い場所である。
 
 ヤナーチェクの父、イジー・ヤナーチェクは教育者、音楽家として各地を転々としながらも合唱指揮、教会でのオルガン演奏をして生計を立てていた。レオシュはドイツが入植地として建設したフクヴァルディに生まれ、幼い頃から父から音楽教育を受けていたのだが、病魔に蝕まれていくイジーに代わり収入を得る教育を受けるために、9歳にして母親とモラヴィアの首都ブルノに出ることになる。レオシュを見送ったイジーは息子と再会することなく、7ヵ月後に亡くなることとなる。
 
 9歳のレオシュがやって来たブルノは、中世の町並みを色濃く残すドイツ人中心の街であった。そのブルノでアウグスチノ修道院(当時、メンデルがえんどう豆の遺伝子研究を行っていた)に入り聖歌隊の一員となった。ここで十分な音楽教育を受け、18歳にしてブルノの聖歌隊の副指揮者に任命される。ここでは自作の発表の機会も与えられ、作曲家としての才能を開花していくことになる。しかし亡き父のように教育者になりたいと考えるていたレオシュは、プラハのオルガン学校に入学し教員の資格を取ることになったのだが、貧乏であったレオシュはピアノを借りるお金もなく机にチョークで鍵盤を書いて練習をしていた。このころから教会音楽、民謡の歌詞による「13のモラヴィア2重唱曲」などをモラヴィア題材とする曲を作曲するようになる。 
 当時のプラハは、ドヴォルジャークやスメタナがチェコ民族音楽を熱心な伝道となり、プラハ国民劇場の杮落としでスメタナの愛国的な歌劇「リブシェ」が上演されるなど、チェコ語の歌劇が盛んに作曲されていた。もちろんヤナーチェクもその仲間入りを目指したのだが、認められずブルノに戻る事になる。
 
 ブルノに戻り合唱指揮者として活動を広げ、先輩であるドヴォルジャークの作品をブルノで指揮し広めることになるが、留学したいとの思いがつのりライプチヒ、ブラームスやワーグナーが活躍するウィーンで作曲を学ぶが、作品は評価されずブルノに戻りまた合唱指揮者として活動を広げていった。そして1882年にはブルノに開校したオルガン学校の教師に任命された。これが現在のヤナーチェク音楽院として発展していく基礎となる。

 一方ヤナーチェクは指揮者としてドヴォルジャークの「スターバト・マーテル」「幽霊の花嫁」など大規模な合唱付きの作品を取り上げ、指揮者として高い評価を得ることになるのだが、作曲家として歌劇「シャルカ」(現在でもほとんど演奏されない)などを作曲し意欲はあるものの、高い評価を得るには至らなかった。またピアニストとしても腕を振るい、アントン・ルビンシュタイン、サン=サーンスの協奏曲などを演奏した。

 チェコの民族的な作曲家になりたいというヤナーチェクの思いは、モラヴィアの民俗学者であるフランチシェク・バルトシュに出会い形となりはじめた。バルトシュは学者であるが音楽に精通していなかったため、ヤナーチェクと共に列車はおろか馬車で入っていく事すら困難なモラヴィアの村々、国境付近の山間の僻地を回り、モラヴィアの民族音楽を採譜し熱心に記録した。
 
 そして40歳にして代表作であり出世作となる歌劇「イェヌーファ」の作曲を開始した。しかし教員として多忙な生活、娘オルガの死などにより完成までおよそ10年も費やしたのだが、問題を抱えながらも1904年の初演は大成功を収めた。しかしプラハでの上演には実現せず、当時ウィーン国立歌劇場の音楽監督をしていたボヘミア生まれの作曲家で指揮者のグスタフ・マーラーにその上演を依頼したのだがこれも実現しなかった。更に同時期に作曲を進めていた歌劇「運命」は生前演奏される事無く、初演は1978年まで待つしかなかった。とは言え歌劇「イェヌーファ」の成功は、作曲家としての自信をヤナーチェクに与え、「草かげの小径にて」、ピアノソナタ「1905年10月1日」などのピアノ作品の名作を少しずつではあるが世に送り出した。

 60歳近くになったヤナーチェクは、歌劇「ブロウチェク氏の旅行」「カーチャ・カヴァノヴァー」とチェコ語によるオペラの作曲に力を注ぎ評価を高めた。そして第1次大戦中に作曲した狂詩曲「タラス・ブーリバ」は1921年のブルノ初演、1924年にヴァーツラフ・ターリヒ指揮チェコ・フィルのプラハ初演ともに大成功を収める事になるのだが、すでにヤナーチェクは70歳になろうとしていたのだ。さらには歌劇「利口な女狐」「マクロプロス事件」「死者の家」と言った名曲を世に送り出し、今日のオペラ作曲家として確固たる地位を築くことになる。また2曲の弦楽四重奏を作曲したのもこの頃である。

 そして遅咲きのヤナーチェクが最も有名な「シンフォニエッタ」を作曲したのは1926年で72歳になってからだ(この年には「シンフォニエッタ」と並んで古スラブ語の典礼による「グラゴル・ミサ」も発表している)。72歳の老巨匠が書いたとは思えないほど生命力に満ちた「シンフォニエッタ」は、生涯のほとんどを過ごしたブルノ讃歌であり、モラヴィアを愛したヤナーチェクならでは民族色の濃い強烈なインパクトを与える作品となった。ヤナーチェクの民族的作風とは、同じ民族的な作品を残した、ボヘミアのドヴォルジャーク、スメタナとは違い、より土臭く土俗的なものであった。

 第1楽章の金管楽器による壮大なファンファーレは本来、チェコ体操協会「ソコル」の依頼により作曲されたものであった。しかし曲想は次第に大きくなり、ハプスブルグに抑圧されたブルノが独立し、輝かしく自由となったブルノを表現したものとなった。この「シンフォニエッタ」が1926年にヴァーツラフ・ターリヒ指揮チェコ・フィルハーモニーが初演された時の後半に、スメタナ「我が祖国」全曲が演奏された事は偶然ではないだろう。

 「シンフォニエッタ」は5楽章からなる。1楽章は、先に述べた通りバストランペット、テナーテューバを含めた巨大な金管楽器とティンパニーのファンファーレに始まる。2楽章の「城」はブルノの高い丘に立つ「シュピルベルグ城」のことで、帝政オーストリア時代には政治犯収容所として使われていた(第2次大戦時にはナチスドイツも同様に使用していた)。その「シュピルベルグ城」が、独立し民衆の手に戻った喜びを表現している。
「王妃修道院」と題された第3楽章は、ヤナーチェクが聖歌隊として過ごしたアウグスチノ修道院のことである。「ドゥムカ」という舞曲風の哀愁に満ちた旋律が印象的である。
4楽章の「街路」は、ブルノの街路。古来「ブルノ」は城塞都市でもあったため、複雑に入り組んだ街路は、格好の散歩コースだったのだろうか?ポルカ調のスケルツォ風楽章である。5楽章の「市役所」は、ブルノ市役所のことで、独立の象徴であり輝かしい喜びの讃歌だ。1楽章で活躍したファンファーレの金管部隊が再び、耳をつんざくまでの強烈で壮大なファンファーレを吹き上げ締めくくる。
(注)各楽章の副題は、通常のスコアに印刷されているものではありません。
posted by CZ-Pivo at 22:43| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヤナーチェク

ヤナーチェクはモラヴィア出身である。
生まれは、ポーランド国境にも近いフクヴァルディ。あまりにも辺鄙なのでまともに行くのは、困難である。もちろん行ったことはない。

ボヘミア人と比較して、モラヴィア人の方が血の気が多いような言い方もある。
同じチェコ語でもモラヴィア方言があり、ヤナーチェクは生涯訛りのある方言を話したという。
幼い頃からブルノに移り、生涯のほとんどをブルノで過ごした。

ブルノ音楽院はかつてからチェコフィルのホルン奏者養成学校とも言われてきた。
ティルシャル兄弟もブルノ音楽院出身。
その先生もチェコフィル首席奏者だった。
今もブルノ音楽院では、ブルノ音楽院出身者で元チェコフィルソロホルンのペトラーシュが教授を務めている。

そんなブルノに縁の深いヤナーチェクと言うと、どうしても大編成だけど何故か演奏回数の多い「シンフォニエッタ」が有名。
CDだとよく一緒に入っている「タラス・ブーリバ」を聞く人は少ないと思う。
とても良い曲なんだけどなぁ

よくて「グラゴル・ミサ」までだろうね。
あとは2曲の弦楽四重奏。
ピアノ弾く人には、「1905年」「霧」とかは知られている?

オペラは???
「イエヌーファ」
「カーチャ・カバノヴァー」
「死者の家から」
「ブロウチェク氏の旅行」
「利口な女狐」
「運命」
「シャルカ」
など

オペラは、実際に見ないとその面白さは伝わらないけど。

なんて偉そうに言いながら、ヤナーチェクなんぞ全く門外漢だった。
変わったのは、ブルノに行ったこと。
ヤナーチェクの音が聞こえてきそうな、角から歩いて出てきそうな街の雰囲気。
「シンフォニエッタ」の城とは、まさにブルノの中心にあるシュピルベルグ城のこと。

そして国民劇場で「イェヌーファ」、ヤナーチェク劇場で「カーチャ・カバノヴァー」を観てようやく見えてきた。
ヤナーチェクの音楽は、感覚的にモラヴィアの空気そのものであるということ。それはヤナーチェク自身が民謡を集め、それを音楽に取り入れたことと大きく関係するのだろう。

これらの名曲のほとんどが60歳を超えて、最後の10年に集中して書いているのだから、不思議である。

ヤナーチェクを聞くと、あの独特な雰囲気のあるブルノを空気が思い出されてならない。まさに街がヤナーチェクを生み出したのだろう。

久しぶりにブルノへ行くのが楽しみだ。
posted by CZ-Pivo at 22:33| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

R.シュトラウス バイオリンソナタ

シュトラウスの若き日に書いた才気あふれる曲である。
バイオリンソナタとしては禁じ手とも言えるEs-durで書いている。
楽器が鳴らないでしょうよ?

でも本当に、シュトラウスらしい華やかで美しくロマンティックな音楽に溢れている。
ひょっとしたらシュトラウスの中で一番好きな曲かもしれない。

シュナイダーハンとワルター・クリーンが美しい録音を残しているが、不覚にも我等のヨゼフ・スークが録音しているとは思わなかった。
ピアノは、ヨゼフ・ハーラ。パネンカでないのが、残念だけど理想的なまでの美しい演奏だった。

一緒に何故か?ノイマン指揮チェコフィルとのベルク:バイオリン協奏曲、フレンチェク指揮チェコフィルとのバルトーク:バイオリン協奏曲第1番が入っている。
この協奏曲は別に持っていたから、買うか悩んだのだが、やはりシュトラウスが聞きたかった。

こうして並べて聞くと、シュトラウスはロマンティックだね。

でも2人の巨匠との協奏曲もとても素晴らしい演奏である。特にベルクは隠れた名演だと思う。

今日は良い買い物をした。

さらに我らのアドルフ・シェルバウムのラッパのCDをゲット。
シャルパンティエ「テ・デウム」、レオポルト・モーツァルト、トレルリなどなど。
シャルパンティエは、若きアンドレとの全曲録音がとても素晴らしいが、冒頭ファンファーレとしては、シェルバウムも全く負けていない。
こういう才能は、もはやいない。

さてさて今日は若干暑さが和らいだが、また明日から暑いのだろうなぁ
posted by CZ-Pivo at 20:41| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

イゴール・マルケヴィッチ

以前から気になる存在ではあった。
しかしいろいろ調べると不思議な存在に思えてくる。

ウクライナ生まれ。
すぐにスイスに移住し、パリで勉強する。

とても古い指揮者と思いながら、1912年生まれで1983年没なので、ショルティやらと世代は変わらない。

当初はフランスで活躍し、イタリア国籍を持ち、イギリス、スペインでも活躍。

ソビエト国立響と録音したストラヴィンスキー「詩篇交響曲」は屈指の名演だと思う。
でもロシア語は話せたのかとか、下らないことを考えてしまうのだが・・・・

フランス音楽はもちろんのこと、ベートーベン、ロシア音楽も得意とした。

日フィルを指揮した「ハルサイ」の映像を見ると、古い世代の指揮者だと思うが、決して古臭いスタイルではない。

チェコフィルにも客演し得意の「ハルサイ」で共演している。

とても情熱的で熱い音楽なのに、全く「頑張ってる感」は見えてこない。汗をかかず(んなことはないが)、さらっととんでもないテンションの高くも、格調高い演奏を聞かせてくれる。
それは貴族出身であることと関係があるのか?ないのか?

偶然聞いたラムルー管との「運命」が引き金となり、アンドレ、そしてマルケヴィッチへと興味は尽きない。

ラムルーとの「海」を聞きながら、こんなにテンションが高いのに、至って冷静かつ完璧で、お前ら俺についてきやがれ!なんてことをやっているのだろうなと勝手に思った。

こういうことは、極限られた天才にしか認められない芸当だろうけど。

特別愛してやまない指揮者ではないけど、とても面白く興味の尽きない指揮者である。
posted by CZ-Pivo at 21:19| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

パリから「新世界」

プレートル指揮パリ管の「新世界」を聞いた。

いやはや面白すぎる。
当たり前なんだけど、リズム感、テンポ感、歌い方などなどが、僕のスタンダードと違いすぎる。
それが面白い。
冒頭のホルン3・4番のパ・パーンからして違う。
チェコでは、伸ばす音に引っ掛けて演奏する(チェコフィルは、ズレ無いように3番ホルンが1人で、とても大きい音で吹く)
でもパリの連中は、伸ばしとは明らかに違うリズム感が存在する。

旋律だから歌おうって場所も全然違う。
だから聞こえてくるものが違う。

ぢゃあこれが駄目なのかというと、それがそうでないから音楽の面白いところである。

あちゃ〜っていうことが起きないのは、やはりプレートルの見識の高さだろうね。

この前、聞いてはいけないと思っていたけど、アーノンクール・ウィーンフィルの「我が祖国」を買っちまったさ。
「ボヘミアの森と草原から」を聞いているけど、全く違う曲に聞こえる。
自身は、先祖にチェコ系の血があるとかなんとか言っていたけどさ。
死ぬほど駄目かっていうと、そうでもないが、そうぢゃないでしょ?とは強く言いたくなる。
美しいホルン・カルテットは、同じ楽器だから割と上手くは行っているけどね。

やっぱりアーノンクールは好きになれない。

ということで、個人的には、プレヴィンの「アルペン」よりも、プレートルの「新世界」の方が気に入った。おまけの「ラプソディー・イン・ブルー」もはちきれていて面白かった。
posted by CZ-Pivo at 23:24| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月06日

最近

1960年代くらいまでのパリが気になって仕方がない。
マルケビッチ・ラムルーやクリュイタンス・音楽院などなど。

アンドレがラムルーに居たのは1953〜1960年とのこと。
あわせて1953〜1962年にフランス放送フィル、その後1962〜1967年までがコミックオペラに居た。

ということでオケ中アンドレ探しを開始します。
早速、購入したマルケビッチの「カルメン」「アルル」は凄まじい演奏だった。

さて、タワレコが面白いものを復刻してくれた。
まずは、プレヴィン指揮フィラデルフィア管の「アルペン」。
「アルペン」はオーマンディが得意としていたが結局録音されず・・・プレヴィンで録音されたが久しぶりに復刻した。
トランペットは、もちろんフランク・カデラベック。
プレヴィンの影響か?意外にもお上品に、炸裂しています。上のDは、もちろん完璧。カデラベックの友達であるケイマルさんにも聞いてもらいたいところである。
そのケイマルさんも、コシュラーとアルペンを録音してますが、本人がお気に入りの素晴らしい演奏。

次に気になって買ったのが、プレートル指揮パリ管の「新世界」。
1970年のパリ管。どんな事になってしまっているのやら・・・おまけに1962年の音楽院との「ラプソディ・イン・ブルー」。これは危険が香がプンプンする。
こちらは明日、会社へ行きながら聞こうかな。

暑いと買い物にも行かないのに・・・・エアコンが復活し、多少元気になるとこの有様である。
posted by CZ-Pivo at 18:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やっと・・・・

エアコンが復活した手(チョキ)

昨夜は、雨雨が降ったからとてんでもなく蒸し暑くバッド(下向き矢印)

午後に修理屋が来て、1時間程して復活。

久しぶりに我が家に涼しい時間が戻ってきた。
今日は、とんでもなく蒸し暑いから、このまま暑かったら熱中症が本当に倒れるところだった。

ということで、熱くてやる気が出ていなかった部屋の掃除、水周りの掃除などなどキレイにしてみた。

それにしても暑いと全くやる気が出ないというのは、困ったものである。

でもまぁ今日からは、多少は回復するであろう。
やらなきゃならんことが特盛だからね。
posted by CZ-Pivo at 15:15| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月04日

チェコのクリスマス

行ったことはありません。あしからず・・・・
でも12月31日にもクリスマス飾りが残っている。これはヨーロッパ全体だけど、25日が過ぎたら一気に正月になる日本とは大違い。
クリスマスと新年は、日本的に言うと「盆と正月が一緒に来る」ようなものなのだろうが、こちらは本当に一緒に来てしまうのだから、Daigo風に言うと「半端ねぇ」ってことになるのか。

昨日、新宿のディスクユニオンで、ベニャチコヴァが歌うチェコのクリスマス・キャロルの国内盤のCDを見つけた。
この手のものは、現地に行けばいくらでもあるし、結構な数を持っている。なんせケイマルさんやティルシャルさんがこっそりと伴奏に参加しているものがあるからである。チェコフィルのソリストがひっそりと参加する録音があるってだけで、クリスマスのCDを作る事がいかに特別なことであることが十分に判る。

僕としては、ちゃんと日本語解説があるのが嬉しい。しかもチェコ音楽研究の先駆者である関根日出男さんが書いている。
この人は、医者の傍らこんなことをやっているのだから、本当に凄い人だと思う。僕なんぞ足元にも及ばない。

この手のキャロルは、ほとんどが17世紀くらいに作曲されたものが多い。素朴で美しく、やはりその後のドヴォルジャーク、スメタナ達に通じる独特な雰囲気がある。
それがたまらなく素晴らしい。
エアコンのないクソ熱い我が家でも、一時の清涼剤になる。
水曜にまた修理に来るが、また休み取らなきゃならんのがむかつく。

さて、何度も書いているけど、チェコのクリスマスといえば、忘れていけないのがヤクブ・ヤン・リバ「クリスマス・ミサ」。
プルゼニュから南へ行ったロジュミタールの音楽学校で教師をし、作曲家としても活躍していた。
教育熱心すぎて、住民と対立し自殺に追い込まれるが、また素朴な美しい曲をたくさん書いているが、ほとんど知られていない。
「クリスマス・ミサ」は、チェコのクリスマスには欠かせない音楽である。多くのオーケストラが、この時期の演奏会で取り上げる。
また教会などでも演奏されるそうな。
この曲のスコアは、僕のお宝。装丁の悪いところも素敵。
そういや「我が祖国」のスプラフォンのスコアも壊れかけて、大変な事になっている。

いつかクリスマスにプラハへ行き、実際に聞いてみたいと思うが・・・何時になるのだろう。
posted by CZ-Pivo at 23:45| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

モソロフ「鉄工場」

モソロフが作曲し3分程度で終わるのに無駄に編成が大きく、演奏機会は多くない。

記憶にあるなからでは、数年前にサントリーホールの現代音楽シリーズで都響がハルサイと一緒に演奏した。

録音はといえば、かつてサバーダでイタリアのオケとモノラルで録音したのが最初で、スヴェトラーノフ録音が最も有名なのかな?
シャイーがコンセルトヘボウと録音している。
さらにはピエール・デルヴォーもパリ音楽院管弦楽団と録音している。

そんなデルボーの「鉄工場」聞きたさに買った2枚組のCD(ずっと前にね)であるが、これがなかなか面白い録音が詰っている。
1枚目は、ロシア小品を集めている。グリンカ、ムソルグスキー、ショスタコ、チャイコフスキー、ハチャトゥリアンと幅広。
早めのテンポの「花のワルツ」でのホルン(コル)はとても美しい手(チョキ)ちょっと得した気分。
お目当ての「鉄工場」はヴィブラート掛かりまくる金管のヤバイ音が炸裂する。
「剣の舞」はちょっといけないものを聞いた気分になる。特にサックスが・・・
極めつけは「火の鳥」のフィナーレ。
ホルンからしてやばすぎる。

2枚目は、コロンヌ管弦楽団とのフランス物小品。
ボレロ、魔法使いなどなど。
こちらはこれからゆっくり聞こう。

デルヴォーはN響にもたびたび客演していた。
ずっと10年以上前の事だけど、ラジオから懐かしの名演奏だとかなんとかいってラヴェル「パヴァーヌ」が聞こえてきた。
美しいホルンだったなぁ
もちろん千葉さんだろうけど。

「パヴァーヌ」つながりで、1962年にボドがチェコフィルと録音している←残念ながら廃盤。
もちろんホルンはシュテフェック。
もはや説明不要。
posted by CZ-Pivo at 21:49| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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